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バック・トゥ・ザ・フューチャー

おすすめ度
5 / 5

あらすじ

1985年のティーンエイジャー、マーティ・マクフライが天才科学者ドク・ブラウンの発明したデロリアンで1955年にタイムスリップし、未来の両親の恋愛を成立させながら現代へ戻ろうとするSFコメディです。ロバート・ゼメキス監督、1985年公開のシリーズ第1作です。

ネタバレ無し

SFとコメディを高次元で両立させた作品

本作は「タイムマシンを使ってしまったらどうなるか」というSFの定番テーマを、コメディの文脈で描き切った映画です。タイムトラベルというと難解になりがちなジャンルを、主人公マーティ・マクフライが自分の両親の出会いを台無しにしてしまうという、誰もが直感的に「まずい」とわかるシチュエーションに落とし込んでいます。パラドックスを笑いに変えながらも、きちんとロジックを守っている構成が秀逸で、観ていてひっかかりがありません。

マーティとドクの関係

主演のマイケル・J・フォックスが演じるマーティは、当時のティーンエイジャーとして非常に等身大な人物で、ロックが好きで少し夢見がちな普通の高校生です。それに対してクリストファー・ロイドが演じるドク・ブラウン博士は、白髪を逆立てた風変わりな発明家で、本来ならまったく接点のなさそうな二人の組み合わせが映画全体の核になっています。この奇妙な友情がどこから来ているのかは作中では詳しく語られませんが、だからこそ二人のやり取りに独特の温かさがあります。

1955年という舞台設定の妙

マーティが飛ばされる先が30年前の1955年というのは、単なる設定以上の意味を持っています。当時の文化、ファッション、音楽など、マーティにとっては「歴史」でしかないものが現実として目の前に広がり、観客も一緒に当時のアメリカを体験するような作りになっています。ロックンロールがまだ一般に広まる前の時代という設定が終盤のシーンで活きており、音楽の扱いが単なる演出以上の役割を担っています。

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両親の仲を取り持つという逆転した役割

1955年に到着したマーティが最初に直面するのは、若き日の母ロレインが自分に恋してしまうという事態です。両親の出会いのきっかけになった交通事故が起きなかったことで、父ジョージとロレインが接点を持てなくなり、マーティ自身が存在を消されていくという展開は、コミカルでありながらじわじわと焦りを感じさせます。母に恋心を向けられながら父の背中を押すという構図は、普通の映画では絶対に成立しない設定ですが、本作はそれをギリギリ笑えるラインで描いています。

ジョージの変化が物語の軸

ジョージ・マクフライ(クリスピン・グローヴァー)は、1985年時点では気弱でビフにいつも言いなりになっているさえない中年として登場します。しかし1955年の若い頃のジョージは、単に臆病なだけでなく自分の夢(SF小説を書くこと)を誰にも見せられないでいる人物として描かれており、そこに奥行きがありました。マーティが背中を押したことでビフに立ち向かうジョージの場面は、本作の感情的な頂点の一つで、1985年冒頭のジョージとの落差が効いています。

ビフ・タネンというヴィラン

トーマス・F・ウィルソンが演じるビフは、ただの乱暴者として描かれているように見えて、実は1955年と1985年の両方に存在することで、30年間まったく変わっていない人物として機能しています。マーティの介入によって1985年のビフが別人のように変化しているのを見て、過去の出来事が現在に与える影響がいかに大きいかを実感できる構造になっています。

時計台のクライマックスと雷のタイミング

ラストの時計台シーンは、デロリアンに雷を受けてちょうど88マイルを達成するという、準備から実行まですべての条件が一度に揃わなければならない構成になっています。電線の接続が外れる、ドクが塔から滑落する、車のエンジンが動かないなど、直前に次々とトラブルが重なる演出がハラハラ感を高めており、最終的にすべてが一瞬でうまくいく瞬間の爽快感は今見ても色あせません。

ラストの反転と続編への布石

1985年に戻ったマーティが見た自分の家族は、出発前とはまるで別の光景になっており、ジョージが成功した小説家になっていることが分かります。過去を少し変えただけで現在がこれほど変わるという体験の余韻に浸る間もなく、ドクが未来から戻ってきて「未来で大変なことが起きた」と告げる場面で映画は終わります。続きを見たいという気持ちを自然に作りながら、一本の映画としてもきちんと完結している終わり方でした。

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